自我の断片化の記

 そんなわけで、ヤフオクで手に入れたRovoの「Pico!」を聴きながら、「マリア様がみてる」の新刊を読む自分がいます。イアン・ワトソンの「エンベディング」、いつまでも積ん読なのはそろそろまずいよなあとか思いながら、しばらく「おおきく振りかぶって」にはまって過ごした自分がいます。
#そもそも「マリみて」に「おお振り」って、女子の方達の読むものばっかり肩入れするってどうよ?>俺
 マーチン・スコセッシの「ザ・ブルース」のボックスを買うか、「カレイドスターおもいでBOX」を買うかで迷っている自分がいます。
 何よりも、普段「遊び人」を自称していながら、肝心な所でちっとも遊べない自分がいます。
 そう言うちゃらんぽらんで統一感のない自分とも、どこかで上手い折り合いをつけないといけないのでしょう。もうン十年悪戦苦闘して、未だにちっとも成果が上がっていないのですが。
 40過ぎた男が未だに自分の統一イメージを探している姿なんて甚だ滑稽ですが、これも一つの現実として受け入れるしかないのでしょう。この曖昧さ・抜けきらなさ・優柔不断さこそ自分の本質で、それしか自分にはないんだと。
 ああ、口に出したらすっとした。