30周年記念24耐(?)コミケット・スペシャル4 

 20日の午後11時にビッグサイト前着。未だ早いので、深夜営業しているカフェに入ったりして、時間をつぶしました。

 深夜のビッグサイトを見るのはこれが初めてです。暗闇の中に浮かび上がる逆三角形の威容。その下には既に妖しげな人々の行列が既にとぐろを巻きつつあります。さながら秘祭の開催を待つ邪教の神殿です。 

 21日午前0時、ビッグサイト入り口前で、事前設営参加者へのガイダンス開始。ところが、準備会の予想を遙かに上回る人手が集まってしまいました。このままでは回す仕事が無くなる、と言う事で、3分の1だけがその場に残って作業を手伝い、あとの人間は一般参加の列に回されてしまいました。

 我々時刊新聞社社員も午前0時すぎに、西2ホールの本局設営予定地に集合。ところが前日の別イベントの撤収が押したため、資材の搬入が1時間も遅れました。機械も机もなしでは作業になりません。しばし待ちぼうけです。

 時刊新聞社総代表(左)とコミケット米澤嘉博代表(右)。お互い余裕のある今のうちにご挨拶。奇しくも当日は米澤代表の52回目の誕生日でした。

 午前1時、ようやくコミケットスペシャルの設営が開始しました。

 少し遅れて、ようやくリソグラフ3台、コピー機1台のハードが揃い、時刊新聞社本局の本格的な設営が始まりました。

 午前3時、揃いの黄色のはっぴを身につけて全体ミーティング。

 早速第一号の編集開始、企画開始の午前4時に合わせて発刊します。以後全企画終了の午後9時までに通刊35号を発刊しました。

 発行された時刊新聞は、コミケット・サークルスタッフの手で参加各サークルに届けられた他、西2ホールの本局と西4ホールの配布所の二カ所で一般参加者にも配布されました。

 4時から西4ホールでの企画がスタートしました。パネル展示もあれば、ダーツや射的もあり、ミニFM放送やらバグパイプの演奏もあり、どこかの大学の学園祭の拡大版という感じです。

 そういえば鉄道関係の展示も多かったなあ。プラレールとかもあったし。 

 コミケット30年の歩みの展示。先日話題を呼んだベネチアビエンナーレ・OTAKU展の展示の一部再現もありました。

 日本SF大会の歩みのパネル展示。今年7月の第44回日本SF大会「HAMACON2」の参加受付もやっていました。

 企画の一つ、流しのアニソン屋さん。傍らに展示してあるギターには、色々な作家・漫画家さんのサインがずらり。

 会場で見かけたシュールくん(「ウゴウゴ・ルーガ」)。
 そう言えばコスプレってこれくらいしか撮影しなかったな。

 午前6時、第一部即売会の参加サークルが設営開始。俄然いつものコミケらしくなってきます。

 午前8時、第一部即売会の一般参加者入場。

 ぼちぼち参加者の投稿も来だして、時刊新聞社本局の周囲もにわかに忙しくなり始めました。

 ところで、丸一日の長丁場に備えて、社員みんながあれこれ差し入れを持ってきたのですが、異彩を放っていたのがこれ。知る人ぞ知る「ジョージア・マックス・コーヒー」。千葉県内だけで限定販売されている、ひたすらに甘い事で有名な缶コーヒーです。最初見た時誰もが「げっ!」と驚いていたのですが、結局終了時には一本残らず売り切れていました(スタミナドリンクとかは残っていたのに)。くたびれると甘いものが欲しくなるものですね。

 昼間、休憩に出た時に近所の建物から撮影したビッグサイトの全景。風はちょっと強かったけど、良いコミケ晴れの日でした。会場外には既に即売会第二部の入場待ちの人の列が・・・。

 西1ホールでやっていた企画、「青焼工房」。昔の同人誌によく使われた懐かしい技術・青焼きコピーを、立て板に水の口上とともに再現するものでした。

 午後の一番の人気企画、西2ホールの時刊新聞社の目の前でやっていた「ちゃぶ台をひっくり返す」。「巨人の星」の星一徹よろしく、参加者がお好きなようにちゃぶ台をひっくり返して下さい、というもの。みんな思い思いのせりふやパフォーマンスとともに盛大にひっくり返していました。最後には数百人の人垣が出来る盛り上がりようでした。

 その人出にあおられて、時刊新聞社本局も賑わいました。頒布していた過去の時刊新聞縮刷版はめでたく完売しました。一部増刷した今日の時刊新聞のバックナンバーも、ものすごい勢いでハケていきます。

 人出はその後もヒートアップ。午後8時過ぎからはバックナンバーを求める人が、大手サークル並みの長蛇の列を作ってしまいました。時刊新聞フルコンプリートを目指す人々の目は次第に殺気を帯びてきます。社員はてんてこ舞いの大忙しです。

 午後9時、全企画が終了。追われるように撤収を開始。作業が終わったのが午後10時30分頃。最後は西ホールホワイエで、米澤代表を囲んで簡単な全体の反省会が行われ、誰からともなく「ハッピー・バースデー、ディア米やん」と歌い出して、この日の全てのイベントが閉じました。